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荒玉水道概説

荒玉水道の地図 


0.プロローグ
 左の下手な地図を見てほしい。水色の線が「荒玉水道道路」である。東京都杉並区の妙法寺の脇から、世田谷区の砧浄水場までの幅約5m、全長約10kmのほぼ直線の道路だ。入り組んだ道ばかりの東京の道路の中にあって、ひときわ珍しい直線道路である。
 その下の写真、杉並区内の「荒玉水道道路」にはところどころにこの標識がある。「水道本管防護のため…」そう。この道路の下にはまっすぐな水道管が埋まっているのである。
なぜ、ここに水道管が埋められたのだろうか?
荒玉水道の歴史を簡単に見てみよう。

1.上水道の必要性
  頃は、大正年間(1912〜1926年)にさかのぼる。静かな農村だったこの地域も、東京の発展と共に徐々に人口が増え、本格的な上水道の必要性が出てきた。
  そこで大正6年(1917年)に新宿水道株式会社と王子水道株式会社という民間の会社ができ、多摩川流域と荒川流域を結ぶ上水道が計画されたのだが残念ながら実現できなかった。 

2.荒玉水道町村組合の成立
 大正12年(1923年)関東大震災が起きた。
難を逃れた多くの人々は、この方面へ移住し、ますます人口が増加し、水不足が深刻な問題となった。
そこで、この地域の13の町村が組合を作り、上水道を建設することになった。 多摩川(玉川)と荒川を結ぶと言う意味で荒玉水道町村組合と名付けられ、現在の豊島区役所のあるところに事務所が設けられた。
ただ、「荒玉」というものの、実際は玉川と荒川を結んでいるわけではない。
水源を多摩川の伏流水に求め、流域の砧(今の世田谷区)に浄水場を建設し、浄水した水を直径約1.1メートルの水道管で、 野方(今の中野区)と大谷口(今の板橋区)の給水所に運び ポンプで配水塔にくみ上げて、自然落下方式で配水管を通じ、各家庭に供給しようというものである。
左の地図でご覧の通り、野方配水塔と、大谷口配水塔と荒玉水道道路は一直線の位置にある。

3.荒玉水道道路
 荒玉水道の工事は大正14年(1925年)に始まり、昭和9年(1934年)にすべてが完成した。
そのうちの水道管は砧浄水場から妙法寺(今の杉並区堀ノ内)の脇の辺まで専用の直線道路を建設し、それから先は一般の道路を利用した。この幅5メートル、9.4キロにわたる専用の直線道路が、「荒玉水道道路」である。
この道路自体は昭和3年(1928年)に完成している。
しかし水道管を保護するため、当時は車や馬の通行か禁じられていたのだそうだ。

4,現在
 昭和7年の大東京市誕生で、荒玉水道の所管は荒玉水道町村組合から東京都水道局へ移り 現在に至っている。
 荒玉水道道路で車(ただし4トン以下、場所によっては幅2メートル以内 1.8m 1.7m制限のところもある)の通行が出来るようになったのは昭和37年(1962年)のことなのだそうだ。

参考資料『杉並風土記(下巻)』(森泰樹著 杉並郷土史会発行)
『東京都水道史』(東京都水道局編)

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